• 开始之前简略介绍下Cult这个词。虽然在网络上已经较为常见了,但是估计还是有朋友不知道什么叫Cult,或者说知道什么类的物品会被称为Cult物,却不知道如何去解释这个词汇。Cult语源Cultus,原意“崇拜”,是一个与宗教有一定关联的词汇。但是有贬义,多指邪教崇拜。后经过时代变迁派生为一个跟文学艺术相关的现代词汇。指在那种只被小众人群所喜爱并得到极力推崇的作品,这类作品大多离经叛道,让那些自认有良知或强烈道德观念的人群敬而远之。之所以扯淡介绍Cult这词,是因为这本小说被日本著名当代作家村上龙贴上了Cult的标签。Cult在当今亚文化中的解释就是—“邪道”。

    前段时间回了趟老家,逛书店的光景。妻子捧起书架上一本小开本的小说向我极力推荐,说这本很不错并告诉我她家里有本《芥川奖获奖小说选集》里收录了这本小说。2者在译名上有出入,妻子喜欢上海文艺出版社翻译的《蛇舌》这个名字,较我更喜欢这次新的译名《裂舌》,因为考虑到跟其他文青众交流的时候,裂舌这个发音远比蛇舌更容易让对方在短时间内意识到你到底说的是什么。而原作名《蛇にピアス》(蛇环)则显得更加隐晦一些。因为看完本书的话大家其实会发现ルイ其实在结束时还没有真正完成裂舌。所以原文的ピアス(Pierced)就显得很有神韵了。

    作者金原ひとみ作为一个83年出生的新生代能有如此文笔着实让观者惊叹,不管你是否曾是朋克一族,从作者淡淡的描写中都能发现她的文字极为真实,一点都不矫揉造作。如果她从未有过出入此类场所的经验是很难写出如此真情实感的小说的。但如果说她只是作为一个安静的观察者角度亦或从有此类经验的友人身上得到的灵感的话,那只能说我完全的折服于作者惊人的观察力。作者对天然的无口无心的朋克党所做的纯粹的无政府主义诠释让人内心产生暂短的温暖之后又以倍速快逝而去。余下的只剩悲伤...

    真要去挑毛病的话,对文身店的シバさん溶入了不少作者主观上的情感,这和多年前的问题小说《上海宝贝》所犯的错误类似。但由于这本是作者金原小姐的出道作品。那么为了刻画悲伤架上这样那样的一些桥段也完全可以理解。

    其实这本书真要说好,剧情上倒也没有什么真正可圈可点的地方。充其量也只是个小品故事,主要是作者讲述这个故事,营造这样一个氛围的时候对细节的把握特别出彩。不明白豆瓣上一堆纱布都在讨论区唧唧歪歪点什么。倒是几篇书评都写得很好。如果抱着看新鲜的感情读完之后再去批判哪个译者翻译的更好那当真是闲的蛋疼。

    所谓青春残酷物语只能用当代的眼光和对当代亚文化的理解把自身置换到这么一个虚拟的环境之中才能了解那些情感的真意,反叛,迷茫,哀伤,失落以及超越一切的短暂欢乐,对残酷过往的缅怀,对未知未来的的向往,对生的认知和坚持。少年时候的一些经历足以改变一个人的价值观和对社会的认知。所以我觉得这本书决不能仅用猎奇的心态去阅读,或者说大家之所以得以阅读后得以评论或批判得益于国家对文学读本的政策放宽。不然这本03年在日本出版发行的Cult小说应该至今还处在“禁书”之列。而那些为人父母的传统的文学爱好者以及教育工作者可能会说:这样的小说我绝对不允许我的子女阅读。那本早期的由上海文艺的祝子平所翻译的版本已经礼貌的非常具中国特色的砍掉了一些性爱描写的段子。还有就是用词方面也非常的保守,这让我深刻的意识到这样翻译不仅仅是因为国家制度所限,另外也能看出祝子平这个译者是个具有传统素养的保守派。新版里直接的文字“我们做爱了”在旧版里译作“我们睡了”。让人不禁想起芥川龙之介时代经常看到“睡”的字眼。其实我在意的还有シバさん那句在原作里应该写成“いく”或“いくのよ”这句小声道出的射精信号,这个就在旧版本里无情的抹杀了。所以,旧版让我始终感觉是在读一本用大正年间的修辞描写现代都市生活的小说。不过祝子平版里面的脚注很多而且很好。像对日本后来兴起的对年轻女孩的称谓“Gal”就很有意思。

    秦岚翻译的版本总体上我认为还是不错的,毕竟也是官方授权的译本。里面一些对新文化的中译让人在阅读的过程中也觉得非常舒服。关于那个中文小说中出现英文人名这个备受争议的话题。我只能说这么说的人对日本文化太过不了解。我不喜欢阿马,阿柴这样的翻译。这帮人要看到原文的话就不会这样觉得新版本的翻译奇怪了。RUYI,AMA和SHIBA先生在日文原作里写为片假名的“ルイ,アマ,シバさん”。虽然每个人的名用汉字来表示的话都与其本名有一定关联。ルイ写成汉字里面有“淚”这个字,但是可能译者考虑到原文提到RUYI是路易·威登的RUYI的关系而没把后面提到的本名中沢ルイ翻译成中泽淚吧。而另外两人AMA和SHIBA写成汉字分别对应“雨(雨田和則)”和“柴(柴田キヅキ)”。至于为什么SHIBA后面要加个先生是因为原文里就是“西巴桑”。所以我觉得旧本里无一例外的翻译成阿马阿柴有悖原作的味道。还有就是本来想对RUYI这个既不是英文也不是日文罗马字母的写法也吐一下槽的,后来想想算了,要真的按罗马字母写成RUI估计会产生更大的歧义,可以想象一票人大概都会觉得RUI的发音是“瑞”或者“雷”...

    最后说说映画版。我不喜欢那个女主角,太大条了,看过金原ひとみ本人照片的人肯定会觉得金原出演ルイ才是最佳人选。虽然看到作家本人照片前我假想到的作者和照片上也有很大出入,但真的看到之后就坚信不疑了。AMA的演员倒是非常出色,演技也很好。很好的诠释出一个愣头愣脑的小朋克和ルイ之间破裂的青春。SHIBA先生的演员看了之后没什么感觉。感觉就那么回事,没很好但也没什么不好。CHARA的歌声是亮点...きえる的标题用的也恰到好处,填词是金原ひとみ本人。看到AMA拉着RUYI逃离警察追捕的时候合着CHARA歌声中的嘶喊心里竟会猛然一酸...不过这片子拍得还是商业了。

    写完之后才发现其实我压根也没有什么剧透,所以没受到经济危机影响的诸位还是买本书看看吧。虽然是短篇但是我保证能对得起那对您也许并不算太重要的18块钱。

    著者紹介:金原ひとみ
    1983年8月8日東京都板橋区生まれ。
    99年文化学院高等課程中退。

    「スプリットタンって知ってる?」
    「何?それ。分かれた舌って事?」
    「そうそう。蛇とかトカゲみたいな舌。人間も、ああいう舌になれるんだよ」
    男はおもむろにくわえていたタバコを手に取り、べろっと舌を出した。
    彼の舌は本当に蛇の舌のように、先が二つに割れていた。
    私がその舌に見とれていると、彼は右の舌だけ器用に持ち上げて、二股の舌の間にタバコをはさんだ。
    「……すごい」
    これが私とスプリットタンの出会い。
    「君も、身体改造してみない?」
    男の言葉に、私は無意識のうちに首を縦に振っていた。
    スプリットタンていうのは主にマッドな奴らがやる、彼等の言葉で言えば身体改造。
    舌にピアスをして、その穴をどんどん拡張していって、残った先端部分をデンタルフロスや釣り糸などで縛り、最後にそこをメスやカミソリで切り離し、スプリットタンを完成させる。
    と、彼は手順を教えてくれた。
    ほとんどの人はこのやり方で改造するらしいけど、中にはピアスなしでいきなりメスをいれる人もいるという。
    大丈夫なの?舌噛み切ると死ぬんでしょ?っていう質問に、蛇男は淡々と答えた。
    焼きゴテを当てて止血するんだよ。
    手っ取り早いけど、さすがに俺はピアス使ったね。
    ピアスでやると時間はかかるけど、いきなり切るより縞麗な切れ目が出来るんだ。
    私は血まみれの舌に焼きゴテを当てるシーンを想像すると、腕に鳥肌が立った。
    今、私の右耳にはOGのピアスが二つ、左耳には下から0、2、4Gのピアスが並んでいる。
    ピアスのサイズはゲージという単位で表され、Gと略される。
    ゲージは、数が小さくなっていく程太くなっていく。
    普通の、耳のファーストピアスは、大体16Gから14Gで、太さは一・五ミリ程度。
    OGの上は00Gで、これが九・五ミリ程度。
    それ以上の物は分数で表され、一センチを超える。
    でも、はっきり言って00超えてしまうとどこかの民族みたいで、かっこいいとか悪いとかの話ではなくなってしまう。
    耳の拡張でもかなり痛いと思ったのに、舌の拡張なんてどれだけ痛いのか想像がつかない。
    元々16G程のピアスをしていた私はクラブで知り合った二つ年上の女の子、エリの00Gに憧れて拡張を始めた。
    「かっこいいね」と言うと、エリは「ここまでやっちゃうともう細いの使わないから」と言って12から0までのピアスを何十個もくれた。
    16から6くらいまでは、難なく拡張出来た。
    4から2、2から0、これはもう拡張そのもの。
    穴には血がにじみ、耳たぶは赤く腫れ、二、三日はじんじんしている。0にするまでに三ヶ月もかかった。
    エリの信念「拡張機は使わない」、これを私も引き継いだ。
    そろそろ私も00に踏みだそうかと思っているところだった。
    拡張にハマっていた私はスプリットタンの話をかじりつくように聞いた。
    男はまんざらでもなさそうに語ってくれた。
    そして数日後、私はその蛇男ことアマと二人でパンクなDesireに来ていた。
    その店は繁華街の外れの地下にあって、入るなり目に飛び込んで曹たのはもろに女性器がアップの写真。
    ビラビラの部分にピアスが刺さっていた。

    (本文P. 3~5より引用)

     

  • 好紧张啊,剩两天了。5.1前快点流出吧...今年夏天来临之前最后的兴奋。